道の駅

軽子ママヒストリー

奈良は天理で生まれた真一くん。(店名のSHINは生まれた時の名前から!)福岡で幼年期をおくる・・・。元気な男の子だったが、心はすでに女の子だった。

おばあちゃんといっしょ。このぐらいから、私は男の子なんだと気づき、男の子になんなきゃ、と思い始める・・・。

恵まれた運動神経で、小学校の頃からスポーツ少年団にてあらゆるスポーツで活躍・・・。この頃から、まわりの友達にオカマと言われていたが、いじめられることはなかった。

中学でバレー部に入り、セッターで頑張っていた。3年生の時、同じクラス(野球部のピッチャー)だった大島智行くんに恋をしていた。それが初恋だった...。よく体育館の窓から、智行君のユニホーム姿を眺めていた(*^^*)我慢できずに告白したが...ふられた...ような....それから、つらい片思の生活を3年すごした。やっぱり、この頃もみんなにオカマと呼ばれていた・・。

高校時代もバレー部。背は162cmと低いが、持ち前のジャンプ力でエースアタッカー、大分県で常にベスト8、小さなエースとしてチームを引っ張っていた。この頃もまた、一つ下のバレー部の後輩に恋をしていたが、今度は告白できなかった・・・。  その後、社会人へ...。

大分商業を卒業後、大阪へ就職、椿本エマソンのバレー部に入り、1年間レシーブ専門で頑張っていた。 でもやっぱりオカマだから、機械関係の仕事が嫌で1年で辞めて母のいる福岡へ来た

印刷関係の会社へ入り3年間勤めその頃もスポーツが好きだったママはバレーボール、テニスを盛んにやっていた。
それから、その会社も辞めゲイの世界へ入る....。
軽子ママ誕生!

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